天才彫刻家 イサムノグチが提灯からヒントを得て生み出した、光の彫刻「あかり akari」。
「太陽や月の光を部屋に入れよう」という思いから、イサムによって「あかり」と名づけられました。 和紙を透かしてくる明かりには、ほどよく光を分散させ部屋全体に柔らかい光を流してくれます。1951年から制作された「あかりシリーズ」は100作以上が発表され、今日も世界中の人に称賛され、愛用されています。
ペンダントライトの定番 Aシリーズは、横に通した竹ひごの幅が狭いタイプです。
最初は少し暗く感じるかもしれませんが、60Wくらいの電球をつけた方が、月のような「あかり」を楽しむことができます。
AKARI(あかり)ペンダントライト Aシリーズ ラインナップ
直径30cm(30A)~直径70cm(75A)までサイズがあります。
別売のコードは30cmから300cmまであるので、設置する場所によって選べます。
シェード | 寸法 |
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30A | 幅 約 30cm × 高さ 約 28cm |
45A | 幅 約 45cm × 高さ 約 42cm |
55A | 幅 約 55cm × 高さ 約 51cm |
75A | 幅 約 75cm × 高さ 約 68cm |
専用コード(白) | サイズ |
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CO-3 | 30cm、電球40W×1 |
CO-10 | 100cm、電球60W×1 |
CO-15 | 150cm、電球60W×1 |
CO-30 | 300cm、電球60W×1 |
イサムノグチの「あかり」
「僕は自分の作品に「AKARI(あかり)」という名づけました、ちょうちんとは呼ばずに。」とイサムノグチ氏は言っていました。「明かりという言葉は 太陽の光や月の光を部屋に入れよう という意味からこの言葉ができ、漢字の文字も「日」(太陽)と「月」とで出来ています。今日あまりにも生活が近代化し機械化した現代人にとって、自然の光に近い照明はまさに憧れであり、和紙を透かしてくる明かりには、ほどよく光を分散させ部屋全体に柔らかい光を流してくれる。「あかり」は光そのものが彫刻であり、影のない彫刻をねらって作ったものなのです。と語っていました。また、僕にとって「ガラスやプラスチックよりも紙と竹と木という古来のものの方が、どんなに美しく、効果を発揮しているかは、いまさら言うまでもないほど。外国育ちの僕にはとりわけ行灯が畳の生活様式に合ったものとして、興味深く感じられる。とも話しています。1951年から制作された「あかりシリーズ」は100作以上が発表され、今日も世界中の人に称賛され、愛用されています。
イサムノグチ 経歴
1904年11月、ロサンゼルスに生まれる。 父は詩人野口米次郎、母は作家で教師のレオニー・ギルモア。 1906年家族と東京に移る。 1918年渡米 1924年ニューヨークのレオナルド・ダ・ヴィンチ・スクールにて彫刻の勉強を始める。 1927年グッゲンハイム奨学金でパリに留学。ブランクーシのアトリエで働く。 1935年マーサ・グラハム舞踏団の舞台装置を制作。 1950年慶応大学の庭園を設計。 1951年広島に橋を二つ設計。「AKARI」のデザインを始める。 1953年神奈川県立近代美術館で個展。 1956年パリ・ユネスコ本部の庭園をデザイン。 1965年ニューヨーク建築協会の金賞。 1968年ホイットニー美術館でイサムノグチ展。 1970年大阪万博のための噴水彫刻を設計。 1974年デトロイトのシビックセンターに噴水と広場を設計。 1976年「アメリカ彫刻の200年」展に出品。アトランタの運動場「プレイスケイプス」を完成。 1977年ニューヨーク近代美術館で個展。 1982年彫刻庭園「カリフォルニア・シナリオ」設計。 1983年イサムノグチ庭園美術館が完成。 1986年ヴェネツィア ビエンナーレ国際美術展にアメリカ代表として出展。 1988年札幌モエレ沼公園のマスタープランを作る。 ニューヨークにて没 |